日本の歴史

近代日本でも欧米に習い、鹿鳴館時代に上流階級の間に社交ダンスが外交政策上の必要性から導入された。鹿鳴館にはカドリーユやウィンナワルツなどが輸入された。日本で一般に欧米流の社交ダンスが行われるようになるのは、1918年(大正7年)鶴見の花月園にダンスホールが開設されて以降である。第二次世界大戦後は進駐軍向けにダンスホールが多数開かれた。また、若い男女の出会いの場としてダンスパーティーが流行しジルバやマンボ流行った。

次第にディスコなど自由な踊りにおされ、イングリッシュスタイルの社交ダンスは古臭い高齢者の趣味と見られる状況になったが、映画「Shall we ダンス?」(1996年)のヒットなどをきっかけにスポーツ的な一面も見直されつつある。現在は競技ダンスとして発達し、プロの競技会や世界選手権なども行われている。

マンボ以降は、ランバダ(1989年)の小ヒットを除いて、新しいダンスが紹介されることがなかったが。 1990年代後半からは、世界的な流行となったサルサが日本にも浸透し始める。ラテン繋がりでメレンゲやバチャータやアルゼンチンタンゴも人気に。クラブダンスとしては、男女ペアのダンスの久しぶりのヒットとなり、若中年層を社交ダンスを呼び戻すきっかけになった。

現在、インターネットによる世界的な情報の得やすくなった時代背景も手伝って、外国で注目を集めているダンス(スウィングやズーク等)がすぐに日本に紹介される様になってきている。